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インド旅行記3 2014年 「 シムラ 」



シムラ滞在の2日目、何の予定もたてず町をのんびり散策。
避暑地の趣きや山の空気、歴史ある町の風情を楽しみました。

シムラはイギリス統治時代に避暑地として栄えた古いリゾート。

1819年に別荘地として開発が始まり、1863年にはイギリス領インド帝国の夏の首都へ。
1903にはカルカ―シムラ鉄道が開通しました。

200年の歴史を持つアジア最古のコロニアルリゾートのひとつです。


山岳鉄道に5時間揺られて到着したシムラの町。 
頭に真っ先に浮かんだのは「どうしてここに?」という疑問。

シムラは山の上に開けた高原ではなく、尾根に沿いに細くのびた町。
そこから谷底に向う急な斜面に、家々が張り付くように連なっています。

列車でシムラに向かう途中、似たような地形の町をたくさん見たし、
シムラの奥にはさらに高い尾根が延々と続いています。

当時の首都カルカッタからも遠くダージリンやリシュケシュの方が便利なはず。
近くに温泉があるわけでも、とりたてて風光明媚なわけでもないし・・・・なぜここに?

思いつく理由としては、
「 ここで力尽きギブアップした ? 」

理想の高原リゾートを求めて遥か山の奥深く迄やってきたけど
そろそろ気力体力ともに限界。

目前に広がる果てしない尾根の連なりをみて、愕然とし
「 もう限界かも、ここらで良しとしない? 」

と決めたのではいかと・・・勝手に想像 (笑)
それくらい微妙な立地のリゾート地です。



ホテルの前を走るチャウラ・マイダン・ロード

左に進むと旧総督邸、右に進むとメインロード 「 ザ・モール 」 に通じ
20分ほど歩くとシムラの中心 「 クライストチャーチ 」 広場です。


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数多くのコロニアル建築が点在する異国情緒の街並み。

日本なら文化財に指定されそうな建物が、手入れもされず普段使いされている様子は
フランスの植民地だったプノムペンやホーチミン、インドシナの町に似た雰囲気です。


シムラ一番の観光名所 旧総督邸
「 バイス・リーガル・ロッジ 」



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ロッジというには立派すぎる建物
石造りの重厚な建築は、まるでハリーポッターの舞台のよう。
( 映画を見たことないけど 笑 )



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邸内の一部が一般公開されています
(一階のほんの一部だけですが)



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個人で自由に見学はできず
玄関に集合してツアーに参加。



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広い芝生の前庭
裏には英国式のローズガーデンがあります。

ここがホテルだったなら・・・



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訪問した6月には紫陽花が満開でした。



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朝靄や霧がたち、湿気が多いシムラの町

からっとした気候を好む日本人には苦手な湿気も
イギリス人にとっては故郷を偲ぶセンチメンタルな風土なのかも





おしゃれなリゾートのイメージがあるシムラですが
それはあくまでインドにおける基準

整然としているのは「ザ・モール」の周辺だけで
そこを外れると正にザ・インディアな混沌と猥雑の世界。

観光客で溢れかえる商店街は
昭和の温泉街や戦後の闇市のよう (笑)

陽の当たる南斜面は香港島並みに建物が密集し
崖のように急な斜面をエレベーターで移動するくらい


賑やかな南斜面とは対称的に北側は静かな景色が広がっています。



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北斜面にはチベットマーケットがありました。



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インドに避難したチベット族が営むマーケット。
衣料品や民芸品が売られています。



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マーケットで巨大なぜんまいを購入 (笑)
シェフにお願いしてインド風に料理してもらいます。



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細かくきざんでやっぱりカレーに。
期待していた山菜の風味は・・・どこか遠くへ (笑)



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明日は朝からリシュケシュへ移動
遠路8時間のドライブです!


つづく



by nonaetamu | 2017-07-20 22:22 | インド | Comments(0)

エジプト旅行記 2016年 エジプト ナイルクルーズ 「 カルナック神殿 」 



ナイルクルーズ4日目の午後。
4日にわたるツアーのゴール、最終目的地 「 カルナック神殿 」 の見学です。

「 カルナック神殿 」 は、エジプト新王国の最高神 「 アメン神 」 と、古王国の最高神だった 「 ラー神 」 を合体した、 「 アメン・ラー神 」 を祀った、アメン神信仰の総本山。 新王国時代には国家信仰の聖都となり、アメン神殿を中心に、20近くもの神殿が連なる巨大な神殿コンプレックスを形成していました。 カルナック神殿は、その基礎が建設された中王国時代から、王朝や権力の移り変わりに翻弄されながら、1000年以上にわたって、拡大、破壊、再生を繰り返していました。 エジプト新王国時代、カルナック神殿が大きな権力を持った最盛期には、大神官はファラオに匹敵するほどの力を持ち、国政さえも左右したそうです。 日本でいうと、比叡山の延暦寺みたいなものでしょうか。 しかし1000年以上も栄華を極めたカルナック神殿も、エジプトに侵攻したアッシリア軍に破壊され、その後のプトレマイオス朝時代には、既に過去の遺物として重要性を失っていたそうです。

「 カルナック神殿 」 は、東西540m、南北600メートルを周壁で囲まれた広大な敷地の大神殿。 
神殿の横に聖なる池を配し、その構造や規模の大きさから、カンボジアのアンコールワットを彷彿させます。 

直射日光が照りつける40度越えの極暑の中、涼をとる日陰がない所も、アンコールワットにそっくり (笑)
常に神輿やお供を従えていた王様たちには、木陰なんて必要なかったのでしょうね。



両端をスフィンクスで守られた神殿の参道。
アメン神の離宮、ルクソール神殿まで通じる、3キロの道です。


修復の途中で未完成のまま放置された第一塔門。
左塔門のレンガが、途中までしか積まれていません。



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第二塔門と、その奥の大列柱室。



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門の両脇には、ナルシスト王、ラメセス2世の立像。
お約束 (笑)



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広大な大列柱室は、総数134本の巨大な柱で支えられていたそうです。



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かつては屋根で覆われていた大列柱室。 中央廊下の上の一段高くなった明り取りから光が差し込んでいました。
縦にスリットが入っている部分が、明り取りの窓です。



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トトメス1世のオベリスク。
観光客でいっぱい (笑)



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正直にいうと、連日の神殿見学に加え、午前中の王家の谷観光で体力を使い果たしてしまい、
遺跡見学に対する気力はほぼゼロ。 

ランナーズハイの状態で、目の前のゴールに向かって、無意識のまま歩いているだけ (笑)


アメン神殿の見学を終え、神殿裏手にでてみると 「 フンコロガシ 」 の像が。 
古代エジプトでは、フンコロガシは繁栄の象徴として崇拝されていたそう。

このフンコロガシの周りを、時計と反対方向に7周回ると、願い事が叶うとのこと。

最後の体力を振り絞って、7周回って願掛けを終えたところで・・・ 
なんとかゴールのテープを切ったような気分になり、精根ともに尽き果ててしまいました。

魂が抜けだした、まさにエジプトのミイラ状態 (笑)



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我ながら、よく頑張りました! 
人生最難関の観光を達成、特に今日は朝から苛酷なスケジュールを、死に物狂いで達成しました。

まあ冷静に考えると、ラオスのワットプーの方が辛く苛酷だったのですが、
4日間の長期にわたる観光マラソンを走破したこの達成感は、これまでの人生において、楽に走り、易きに流れることを、最優先に心がけてきた私にとって、初めて味わう無上の喜びでした (大袈裟すぎ 笑)



こんなに頑張った自分へのご褒美、今夜のディナーは、
大好物の 「 鳩 」です !



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「 モロヘイヤのスープ 」



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「 羊のシチュー 」



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見事な鳩のロースト
じゃじゃ~ん !



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丸々と太った鳩が、一人に二羽も。

鳩のお腹の中には、エスニックな味わいのスパイシーなピラフが詰まっています。
パリパリの皮はバターの香りがほのかにして・・・・素晴らしく美味しい。

あっという間に完食 (笑)



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「 オム・アリ 」 
エジプトの伝統的なデザート。

このデザートも最高の味わいでした。

パンプディングのようなのですが、もっと水分が多くて、とろとろとしています。
ナッツとフルーツを入れて煮込んだ、パンのミルク粥 ?

甘さも控えめ、熱々で・・・ 仕合せになる優しい味わいです。



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大満足のラスト・ディナーを終えて、あとはキャビンに戻って眠るだけ。

部屋に入ろうとドアを開けた途端に、悲鳴と笑い声が !



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部屋の片隅、暗闇にミイラが座っていました(泣)
冗談じゃなく、本当に怖かった~


リモコンを手に、顔まで書いて・・・
ハウスキーピングのスタッフたちは、廊下の陰に隠れて、面白そうに私たちの反応を伺っています (笑)



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スタッフの皆さん、毎晩の楽しい演出、どうも有難うございました。


明日は午前中に船を降りて、カイロへ移動です。




つづく









by nonaetamu | 2017-01-25 14:51 | エジプト | Comments(0)

エジプト旅行記 2016年 エジプト ナイルクルーズ 「 王家の谷 」 



ナイルクルーズの4日目。
今日は、クルーズのハイライト。 王家の谷と、カルナック神殿を見学します。

午前中は、王家の谷の観光。
気温が上がる前に見学が終わるよう、朝の7時に船を出発です。



うっかり寝坊をしてしまい、大急ぎで朝食をいただきます。
写真を撮る余裕もなく・・・・ 汗


船の傍に横につけた小舟に乗り移って、ナイルを横切り、西岸へ渡ります。



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なぜに 「 ヘラクレス 」 ? (笑)



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古代エジプトでは、日が没するナイル川の西岸を 「 死 」 の象徴であると見なしていたので、
人の生活する町は東の此岸に、ピラミッドに代表される墓所は西の彼岸に建設されています。



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昨日、夕日を眺めた 「 Winter Palace Hotel 」 が右手に見えます。



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西岸の船着き場で船を降り、車に乗り換えて、王家の谷に向かいます。
川の西岸は、東岸とは対照的に、本当に寂しい集落があるだけ。

車は川に沿ってしばらく走ったあと、右手の山の方角へ曲がり、木も草も一本も生えていない、白く乾いた山の奥へ延々と進んでいきます。

王家の谷は、人目につかない隠れた場所にあると聞いていましたが、こんなにも町から隔離された場所だとは。
車がなかった当時、どうやって人や資材を運んでいたのか、想像もつきません。

迷路のような山間の道をうねるように走って、30分ほどで王家の谷の入口に到着しました。
王家の谷には車が入れないので、ここで3両連結の電動トロッコに乗リ換えて、お墓のある場所まで登ります。
王家の谷は、お墓の内部も、付近の風景も、敷地全体が写真撮影禁止です。


午前中だというのに、白い岩山の上は、既に猛烈な暑さ。
軽く40℃越え (笑)


世界的な観光地とあって、王家の谷は朝から大勢の観光客で賑わっています。
極暑の夏場は、頑張って早起きしてくるのが正解のようです。



「王家の谷」

ナイルの西岸、切り立った山の奥深くに、現在、由来が確認されているだけで、62基のお墓が見つかっています。
エジプトの新王国時代、世界一の超大国として栄華を極めた500年間。 その時代のファラオや王族の墓所です。

王家の谷に最初のお墓を造ったのは、エジプト王国の領土を、古王国よりもさらに大きく拡張した名将 「 トトメス1世 」。 しかし当時、古王国時代のピラミッドのような巨大なお墓を持つことは、どんなに偉大なファラオでさえも、もはや叶わない夢でした。 そこで代替案として、ピラミッドの替わりに、山頂が尖ったピラミッド型の山の中腹にお墓を掘ることにしたそうです。 そえにしてもアブシンベルやカルナックのような大神殿を建設した新王国でさえ建設不可能だったピラミッドを、新王国よりも1000年以上も昔に建設したエジプト古王国って・・・・  



今回は、「 セティ1世 」、「 ラメセス6世 」、「 ツタンカーメン 」 の3か所のお墓を見学しました。

王家の谷のお墓は、狭い急こう配、心臓破りの階段を、何百メートルも下りていかなければなりません ( もちろん帰りは上って )
40度を超える酷暑のなかでは、3か所が限界です (笑)

「 セティ1世 」、「 ラメセス6世 」のお墓は、王家の谷の中でも白眉の美しさ。
この2箇所は必見なので、それに加えて、興味のあるファラオのお墓を1か所、見学なさることをお勧めします。



王家の谷のお墓、素晴らしかったです !  
感動した ! ( © 純一郎 )

間違いなく、今回の旅で一番のクライマックスでした。

お墓の内部は、当時の鮮やかなペインティングが、ほぼそのままの状態で保存されています。
鮮明でビビッドな色彩。 遺跡の歴史的な価値だけでなく、現代のインテリアとして眺めても参考になるお洒落なデザイン。

古代エジプトの町が、こんなにもカラフルに彩られていたのかと想像するだけで、夢と幻想が大きく広がります。



「 セティ1世 」 は、巨大な建築おたくラメセス2世のお父王。 新王国が最も華やかだった時代のファラオです。
少しオレンジがかったミモザのような可愛らしい黄色を基調とした内装は、我が家にも一部屋欲しくなるようなフェミニンなテイスト。

「 ラメセス6世 」 のお墓は、ロイヤルブルーを基調にした神秘的なペインティング。 
こんな内装のスパがあったらいいな、と思うような心安らぐ空間です。

「 ツタンカーメン 」 のお墓は、規模はあまり大きくないのですが ( 見学にはちょうどいいサイズ 笑 )、62基のお墓の中で最後に発見されたので、保存状態が良く、内部も破壊されずに残っています。 そして実際のお墓を目にすることで、カイロの考古学博物館にあるツタンカーメンの部屋が、より興味深く現実味を持って楽しむことができました。




王家の谷の後は、王家の谷を建設した職人たちの村 「 デイル・エル・メディーナ 」 を見学。

墓の盗難を恐れ、王家の谷の存在場所が他に漏れることのないよう、王家の墓の建設に従事した世襲制の職人たちは、高い塀で囲まれた集落の中に幽閉され、交代制で王家の墓まで移動して働いていたそうです。 村から王家の谷までの移動も、目隠しをしてお墓の場所がわからないようにしていたそう。 谷底にある村を取り囲む尾根の山腹には、職人たち自身のお墓も掘られているのですが、王家の谷のお墓に比べると、とてもコンパクトで生活感に溢れ、親近感がわくものでした (笑)



職人の村の後は、ラメセス3世の葬祭殿を見学。

王家の谷の場所は極秘で誰に知らせることもできなかったので、王家の谷へ墓参する代わりに、亡くなったファラオを祀り参拝するための葬祭殿が建設されました。 面白いのは、新しいファラオが即位すると同時に、ファラオの死んだ後のための葬祭殿を建設し始めていたそうです。



ラメセス3世の時代に、エジプトは「海の民」の攻撃を受けたので。 第一塔門は、要塞のように堅固な造りになっています。



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捕虜を棍棒で打つラメセス3世



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門も奥行きが厚く頑丈です。



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第二塔門



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プトレマイオス朝時代に建設された神殿と比べると、ずいぶんと太い柱。



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第二中庭
ここで軍隊の観閲や、レスリングの試合が奉納されたそうです。



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列柱室、参拝殿の跡。



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帰り道に、「 メムノンの巨像 」 にも立ち寄りました。

アメンホテプ3世の葬祭殿の門前に建てられた、アメンホテプ3世の座像だけが残っています。

今は跡形もありませんが、葬祭殿はカルナック神殿に匹敵するくらいとても巨大な葬祭殿だったそうです。 
葬祭殿の石材は全て持ち去られ、建材としてリサイクルされたそうです。



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これにて午前の観光終了。 

やっと船に戻ってきました~



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今日のお昼は・・・ (笑)


ホタテのサラダ



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何かのチャウダー



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フィッシュ & チップス



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シーフード・スパゲッティ



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ご飯をいただいて一休みしたら
最後の観光地、カルナック神殿へ出発です。



つづく


by nonaetamu | 2017-01-23 15:24 | エジプト | Comments(0)

エジプト旅行記 2016年 エジプト ナイルクルーズ 「 ルクソール神殿 」



ナイルクルーズの3日目。
エドフを発った船は、夕暮れ時にルクソールに到着。

船から降りて、川沿いをルクソールパレスホテルまで散歩。
ホテルのテラスで、ナイルに落ちる夕日を眺めました。



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夕日を愉しんだあと、ロビーでガイドさんと落ち合い、「 ルクソール神殿 」 の見学へ。

ルクソールは、古王国衰退後の混乱の末、南北エジプトを再統一した中王国の首都として、また太陽神アメンを祀る宗教都市として、紀元前2000前から繁栄した古代都市。 中王国が外国からの侵略を受け分断した後、南北エジプトを再々統一した新王国の首都となり、さらに首都が移転したあとも、国神 「 アメン・ラー 」 を祀る宗教上の聖都として、500年もの間、変わらぬ繁栄を続けます。 当時のエジプトは、世界最大・最強を誇った超大国。 世界中の富がエジプトに集まっていたそうです。

ルクソールの別称 「 テーベ 」 は、ギリシア語による都市名。 古代ギリシアの吟遊詩人ホメロスによる 「 イーリアス 」 には、「 エジプトのテーベには、黄金が山と積まれ、光り輝いている。 テーベには、百の門がある。 」 と詠われているそうです。 因みにルクソールというのは、アラビア語由来の都市名。 古代エジプトでのオリジナルの都市名は、「 ワセト 」 といったそうです。


ルクソール神殿は、カルナック神殿に祀られているアメン神の離宮として建てられました。 年に一度、ナイルの氾濫期に祝われれるオペト祭。 祭りの初日には、黄金で作られたアメン神のご神体が、船神輿の乗せられ、カルナック神殿からルクソース神殿に運ばれます。 ご神体は、妻神であるムト神のご神体と共に、10日間ルクソール神殿の内々殿に安置されたそうです。



カルナック神殿と、ルクソール神殿を結ぶ参道。 
3キロの参道の両端を、スフィンクスが守っています。



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アブシンベル神殿で有名な、建築おたく王ラメセス2世によって寄進された、巨大な第一塔門。
現在は2体しか残っていませんが、ラムセス2世の座像は全部で6体あったそうです。

超ナルシスト・・・・笑



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対になる右側のオベリスクは、「 クリヨン 」 で有名なパリのコンコルド広場に移築されています。



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第一塔門をくぐると、やはりラメセス2世の寄進した第一中庭。
マイ・スタチュー祭り・・・・ (苦笑)

ジャイアントロボ  「 マッ ! 」




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第二塔門より先は、アメンヘテプ3世が寄進した神殿のオリジナルの部分です。



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アメンヘテプ3世の大列柱廊



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パピルス柱の頭部、装飾の部分。 この柱はパピルスの花が開いています。
開花したパピルス柱は昼、現生を現していて、逆に花が閉じたパピルス柱は、神の領域を現しているそうです。



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アメンヘテプ3世の第2中庭



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均衡の取れた美しい空間。
このような建築を見ると、ギリシア建築は、エジプトの影響が大きいのではと想像します。
( 西洋の方は、あまり認めたくないようですが・・・汗 )



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内殿へと続く列柱室



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柱はパピルスを束ねたデザイン。



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ご聖体を安置する内々殿は、アレクサンダー大王によって、修復されたもの。
壁面には、アレクサンダー大王を描いたレリーフが残っています。

侵略後エジプトの文化を破壊したペルシャとは異なり、アレクサンダー大王は、エジプトを統治する王として、エジプト古来の文化も尊重し、破壊された神殿等の復元を行ったそうです。 アレクサンドリアの町の建設でも有名ですね。



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夜の遺跡見学。 ライティングの効果も素晴らしく神秘的な雰囲気で、日中とは異なる幻想的な趣が楽しめました。
エジプト観光の際には、夜の遺跡見物をなさることを、心からお勧めいたします。



観光を終え船に戻ると、待ちに待ったディナータイム。
今日は、エジプト料理の夕べ。


前菜の盛り合わせ 「 メッツァ 」



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レンズ豆のスープ



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主菜は、ケバブやコフタ、羊や鶏など、各種グリルの盛り合わせと
トマト味の羊のシチュー、エジプト風ピラフ、等々・・・



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すべて美味しくいただきました !
ご馳走様でした。




お腹がいっぱいになって部屋に戻ると



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日に日にエスカレートしています (笑)
ミネラルウォーターの蓋を目に・・・・ 芸が細かい。


明日は、クルーズのハイライト、王家の谷とカルナック神殿の観光です。
体力が持つか、少し心配です・・・・



つづく


by nonaetamu | 2017-01-18 19:54 | エジプト | Comments(0)

エジプト旅行記 2016年 エジプト ナイルクルーズ 「 エスナのロック 」



ナイルクルーズの3日目、午前中に 「 ホルス神殿 」 の見学を終え、
船はエドフの町を出航し、ルクソールを目指してナイル川を下ります。

部屋に戻りシャワーを浴びて一息ついたら、もうお昼をいただく時間です。 
朝から頑張ってお勉強をしたので、お腹がペコペコ (笑)

今日は、冷房の効いた食堂でランチをいただきます。



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ビシソワーズのピントがボケボケ (笑)




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お昼をいただいていると、船がもうすぐ 「 エスナのロック 」 を通過すると教えてくれます。

「 ロック 」 って? 岩 ? ロック魂 ?

「 教えてちょ~だい、ロック、ロック、エスナのロック 」 ( © 財津一郎 古すぎ 失礼 )

と尋ねたところ、GMが語るには

総長6千5百キロ以上もある大河ナイルには、途中に何か所かカタラクト ( 瀑布 ) があり、船の航行を妨げていた。 河口に一番近い最北端のカタラクトがあったところがアスワン。 そのカタラクトのためアスワンより上流には船が上れなかったおかげで、アスワンはエジプト文明とヌビア文明の中継地として栄えた ( ホテル名になるほど )。 アスワンから河口までは高低差が200メートルほどなので、川の流れは比較的に穏やかだが、エスナには小規模の激流があり、やはり船の航行を困難にしていた。 そこで小さなダムのような堰を作って川を堰き止め、堰の一部に船が通れるようにミニ運河を設けている。 そのミニ運河には、上流と下流の川の高低差を調整する仕掛けがあって、それを「ロック」というのさ。

「 つまり、パナマ運河のミニチュア版のようなものですね ? 」
「 アイ・アイ・サ― ! 」

のような話をしていると、
窓の外に、もうロックが見えてきました。

食事もそこそこに、急いでデッキに駆け上がります。



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船が運河に入ると、前後の水門を閉ざし、運河の中の水を抜いていきます。



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水位が下流のレベルまで下がったら、進行方向の水門を開きます。



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岸壁の濡れている部分が、上流と下流の高低差。
10メートル程でしょうか。

船用の水圧式エレベーターみたいなものですね (笑)



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ここからアスワンまでは、4時間ほどの船旅です。



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デザートは、そのままデッキでいただいて。



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食後は、プールで身体を冷やしたり



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操舵室に遊びにお邪魔したり



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スイートルームを見学させていただいたり



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写真がバスルームのみ (汗)

スイートの構成は、リビングと寝室、通路には4人が同時に仕事できそうな長いカウンターデスク、それにジャグジー付きのテラス。

パブリックスペースが充実しているので、眠るだけなら通常のキャビンで問題ないかと、個人的には思いました。

もしスイートキャビンをご利用でしたら、部屋のテラスがより開放的な姉妹船の 「 Oberoi Zahra 」 がお勧めです。 「 Oberoi Philae 」 のスイートのテラスは、構造上屋上デッキのフロアの下になるので、面積の半分くらいが屋根で覆われています。 もし通常のキャビンをご利用なら、パブリックスペースがより広い 「 Oberoi Philae 」 がお勧め。 「 Oberoi Philae 」 は、改装してキャビンの数を半分に減らし部屋の面積を2倍にしたので、キャビンの総数は 「 Oberoi Zahra 」 とほぼ同じなのですが、船の規模がより大きいのでパブリックスペースは2倍くらい広いんです。


あれこれ遊んでいるうちに、ルクソールの町が見えてきました。



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ルクソールでの夕陽は、船を降りて 「 Winter Palace Hotel 」 で楽しむ予定です。



つづく


by nonaetamu | 2017-01-02 09:25 | エジプト | Comments(0)

エジプト旅行記 2016年 エジプト ナイルクルーズ 「 ホルス神殿 」




ナイルクルーズの3日目
午前中は 「 ホルス神殿 」 の見物にでかけます。


今朝は、洋食をリクエスト。
ガイドさんのスパルタ教育に落ちこぼれないよう、朝からしっかりと栄養を補給します (笑)



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船着き場から 「 ホルス神殿 」 までは、馬車に乗って20分ほど。
町はずれの遺跡まで、エドフの繁華街をのんびりと駆けていきます。



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エドフの町中には、はっとするような美男美女がいっぱい。
小顔で背の高い、8頭身や10頭身のモデルのような人ばかり。

道端の物売りや遺跡のガイドまで、無駄にスタイルが良くて
石を投げればイケメンに当たるという、イケメンのハイパーインフレ状態に、思わず笑ってしまうほど。

これまでも美男美女の産地はたくさん訪れましたが、その中でもトップクラスのビジュアル偏差。
典型的な 「 平たい顔族 」代表の私からすると、まるで他の惑星にまぎれこんだみたいです (笑)

黒人系の人が多かったアスワンの町とも、アラブや白人系が多いカイロの町とも異なる人種。
黒人、アラブ人、白人の、いいとこ取りをした、ゴールデン・ハーフ・スペシャル (笑)

ルクソールとアスワンの中間に位置するエドフは、ヌビアとエジプトのまさに合流地点。
エドフの美しい人たちは、ヌビアとエジプト、さらには、ギリシャ、ローマ、トルコ、ペルシャ人までもが芳醇に融合をかさね、6千年の歴史が育んだ優性遺伝の結晶なのかもしれません。



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ファラオの象徴でもあるホルス神を祀る 「 ホルス神殿 」 に到着。
ホルス信仰の総本山、ホルス神に捧げるエジプト最大の神殿です。

遺跡入口の門から、前庭に入ります。



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門から、遺跡の入口を振り返った写真です。

遺跡の外の家が建っているところが、発掘前の地面の高さだそうです。
こちらから、神殿の大部分が砂に埋もれていたことが分かります。

砂の下にあった部分は浸食や破壊を免れたので、神殿の下部の方が保存状況がいいそうです。



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第一塔門。

あまりのスケールの大きさに圧倒されます。



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ナイルクルーズには、アスワン発 ルクソール着と、ルクソール発 アスワン着の2コースがあるのですが
私たちは、アスワン発のコースを選んで正解だったと思いました。

アスワンから川を下っていく場合は、見学する神殿や遺跡の順序は、時系列的には逆方向になるのですが、反対に神殿の規模や重要性は、古代エジプトの都テーベ ( ルクソール ) に近づくほどスケールアップしていくので、感動や驚きが次第に増していくからです。

その分、観光ノルマも、日増しに苛酷になっていくのですが (笑)

試験の際に難問から取り組むタイプの方は、ルクソール → アスワン コースを、好物は最後まで残しておくタイプの方には、アスワン → ルクソール コースをお勧めします。



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塔門をくぐると、列柱の並ぶ回廊に囲まれた拝庭。



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第一塔門を裏から



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拝庭の回廊



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本殿の入口にある、対の 狛犬 ならぬ 狛鳩
ではなくて、隼 ( ファルコン ) 姿の 「 ホルス神 」



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本殿から、ホルス神目線で見た拝庭



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こちらの神殿も、やはり参拝者の目線と、本殿奥の内陣が同じ高さになるよう設計されています。

「 ホルス神殿 」 の保存状態はとても良く、今回見学した神殿の中で、本殿の天井が残っていたのは、「 ホルス神殿 」 だけでした。
天井が煤で黒くなっているのは、遺跡に住み着いていたキリスト教者が、キッチンとして料理していたからだそうです (笑)



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神殿の内々殿には、黄金色のホルス神のご神体が安置されていたそうです。



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式典の際に、ご神体を移動するのに使われた船神輿のレプリカ。


エドフは、ハトホルの祭りで有名な町。

「 ホルス神 」 と結婚し、妻神となったのが 「 ハトホル女神 」
「 ハトホル女神 」 は、エドフからナイルを下った、ルクソールの北にあるデンデラの町 「 ハトホル神殿 」 に祀られています。

夫婦である2人が会えるのは、年に1回、2週間だけ。
ハトホル女神のご神体は、エドフまで、船神輿に乗ってナイルを旅し、ホルス神のご神体と並んで祀られたそうです。

まるで七夕のようなロマンチックなストーリー。
1年に1度きりの夫婦神のランデブー 「 ハトホルの祭り 」 は、「 美しき出会い ( 結合 ) の祭り 」 とも呼ばれ、船渡御を祝う人々でとても賑わったそうです。



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本殿を囲む外廊の壁も、神話や南北エジプト統一の物語を描いたレリーフで埋め尽くされています。



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コム・オンボ神殿やイシス神殿のレリーフと比べると、あちらの方が、より繊細で彫刻的。 3D感があって好きかも。
こちらのレリーフは、ちょっと自作の消しゴム版画っぽいような (笑)



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大戦から凱旋したホルス神とファラオを迎えるハトホル神?



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これにて3日目午前中のノルマを終了。

素晴らしいスケールの遺跡にも感動しましたが、
エドフのイケメンの方が、より印象深かったかも (笑)

次回は町中のカフェに腰を落ち着けて、ゆっくりとイケメン鑑賞を愉しみたいです。




つづく


by nonaetamu | 2016-12-28 00:33 | エジプト | Comments(0)

エジプト旅行記 2016年 エジプト ナイルクルーズ 「 コム・オンボ神殿 」


ナイルクルーズ2日目、午前中は 「 イシス神殿 」 と 「 アスワンハイダム 」 を観光。
観光を終えたクルーズ船は、アスワンの岸辺を出航し、ナイル下流の町 「 エドフ 」 を目指します。



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今日のランチは、屋上のデッキでいただきます。



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デッキ上は灼けるように熱いのですが、船が運航している間は涼しい川風が吹き抜けるので、お食事をいただくこともさほど難儀ではありません。


船から眺めるナイル沿岸の緑も目に優しい (笑)



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今日のメニューは

前菜にブレザオーラ



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ちょっとパストラミっぽい (笑)


グリーンピースのポタージュ



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シーフードのタリアッテレ



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若鳥のローストと、シェフにリクエストした 「 コシャリ 」



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エジプトの国民食と言われる 「 コシャリ 」

お米に、マカロニ、スパゲッティ、ひよこ豆、レンズ豆等をミックスして、揚げた玉ネギをトッピング、ピリ辛のトマトソースとアリサでいただく 「 炭水化物爆弾 ! 」

お味のほうは・・・ B級グルメに不可欠なパンチ力が足りないような。
お米と、マカロニ、スパゲッティ、豆類が、バランスよく調和して混然一体となったハーモニーを奏でるのかと思ったら、まるっきりてんでばらばらでそれぞれが主張しあう、見た目そのままの味わい。

同じ炭水化物の組み合わせでも、日本のモダン焼き、焼きそばパン、スパゲティロールは、さすがに完成度が高い !
味付けも、日本のそばめしのほうが、より下世話で好みかも。

それともオベロイ仕様で、必要以上に上品になってしまった?
一度経験したら、もういいかな (笑)


デザートには、フランボワーズのムース



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アラブ風のスイーツ



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昼食を終えたころ、ちょうど次の目的地に到着です。

「 船を降りたら、そこは遺跡 」
このお手軽なコンビニ感覚が、クルーズ船の醍醐味 (笑)



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「コム・オンボ」

隼の顔をもつ 「 ホルス神 」 と、ワニの顔をもつ 「 ソベク神 」 に捧げる神殿。
2神を祀っていたため、神殿への入口も2つ、本殿奥の内陣も2つ、2つの神殿が中央で合体したように左右シンメトリックにつくられている珍しい構造が特徴です。



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遺跡が発掘されるまで、神殿の大部分が砂に埋まっていたため、レリーフの保存状態も良く、神殿オリジナルの色彩が残っている部分もあります。



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プトレマイオス朝に建設された神殿は、列柱などにやはりギリシア建築の影響が見られますが、「 イシス神殿 」 より早い時期に建てられたので、まだ柱は太く 「 イシス神殿 」 ほど洗練されていません。

遺跡のある町の名前 「 コム・オンボ 」 とは、「 オリンポスの丘 」、 オンボ=オリンポス、コム=丘、という意味。
古代ギリシア、ローマの影響が、エジプト全土に広まっていたそうです。



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神殿を囲む回廊も、精妙なレリーフで隙間なく埋め尽くされています。
神を讃える神話、ファラオにまつわる絵巻、当時のエジプトの人々の生活・・・・



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神から洗礼を授かっているファラオ



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南北エジプト統一の象徴、プスケント ( 2重冠 ) を戴冠し、エジプト王となるファラオ


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即位後の儀式の模様
何か大切な道具をもらっています ( 失念 )



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古代エジプトの医学の様子を描いた有名なレリーフ。

医者の道具の中には、すでに鉗子やメスも・・・・・
左の台に腰かけている女性は、当時の分娩の様子だそうです。



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「 コム・オンボ神殿 」 、静かというより閑散としていて、他の観光客を見かけませんでした。

なので遺跡内にいる暇を持て余した似非ガイドが、かなりしつこくつきまといます。
ずっと無視していたら、最後には友達と2人の記念写真を撮って欲しいと厚かましくリクエスト。



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カメラを見たら写真を撮ってもらいたがることは、発展途上国ではよくある光景。
写真くらいなら・・・・ と思って、シャッターを押したら

いきなり 「 モデル代、よこせ~っ ! 」

かつて経験したことのないあまりに斬新な押し売りスタイルに、唖然とした後、思わず爆笑してしまいました。
エジプト人、たくましすぎる・・・

写真を見返しても、絵にかいたような悪人面。
「 ホーム・アローン 」 にできてきた、2人組の強盗みたい (笑)


「 コム・オンボ神殿 」 を見学した後は、船に戻ってアフタヌーンティーをいただきます。
今日の日没までには、エドフに到着する予定です。



つづく


by nonaetamu | 2016-12-23 01:07 | エジプト | Comments(0)

エジプト旅行記 2016年 エジプト ナイルクルーズ 「 イシス神殿 」



ナイルクルーズ2日目、今日の観光はイシス神殿とアスワンダム。
涼しい午前中に見学が終わるよう、8時に船を出発します。 

早起きをして、まずは朝ご飯。
メニューは、洋食とアラブ風からのチョイス。

アラブ風の朝食は、ピタパンと、ひよこ豆のコロッケ 「 ファラフェル 」 と、ひよこ豆のディップ。



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「 ファラフェル 」 は、日本のコロッケのような食べ物で、中近東でとてもポピュラーなのですが、日本のコロッケと同様、美味しいものとそうでないものとの味の差が甚だ大きい。 美味しくないものは油っぽくて中がガチガチ。 オベロイの 「 ファラフェル 」 は、揚げたてホクホクで、さすがの出来ばえです。


洋食は、玉子料理、パンケーキ、ワッフル、クレープ等、好みのメニューを注文できます。 メニューにないスモークサーモンのエッグベネディクトをリクエストしたのに、かしこまりましたと余裕の神対応。 たった2人だけのクルーズに、どれだけ食材を用意しているのか? 今回のクルーズで利益があるの?と他人事ながら思わず心配になってしまいます (笑) 



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クルーズ船の名前でもある 「 フィラエ 」 とは、ナイル川に浮かぶ小島に由来します。

フィラエ島は 「 ナイルの宝石 」 と呼ばれた緑豊かな美しい島。 豊穣の女神 「 イシス 」 が、エジプト王ファラオの象徴でもある天空と太陽の神 「 ホルス 」 を生んだ神聖な場所です。

「 イシス神殿 」 は、紀元前100年頃のエジプト末期王朝、クレオパトラの父王プトレマイオス12世によって、フィラエ島に完成した、イシス女神に捧げる神殿。 現在の神殿は、 「 アスワンハイダム 」 の建設による水没の危機をさけるため、隣の島に移築されたもの。 アブシンベル神殿と同じ運命を辿った神殿です。 


クルーズ船から車で10分、アスワンダム近くの船着き場から、小船に乗り換えてイシス神殿に向かいます。



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船着き場には、何百隻もの観光船が停泊しているのですが。 
他の観光客は見当たらず、ほぼ開店休業状態。。。。

機関銃を構えた警官も私たちのボートに同乗。
クルーズ船には護衛の警官が常駐しています。



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アスワンダム
1902年、イギリスが造った当時世界最大を誇った巨大なダム



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船の行く先にイシス神殿が見えてきました。



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列柱に囲まれた神殿の前庭



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列柱の装飾から、ギリシア文化の影響が見られます。



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圧倒的なスケールの第一塔門



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ハヤブサの顔をした 「 ホルス神 」 ( エジプト航空のシンボル )
頭上に太陽をのせている 「 イシス神 」
右はエジプト王 「 プトレマイオス1世 」

敵の大軍を破り、王位を授かる場面です。



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参道には傾斜があり、本殿に進むにつれ少しずつ高くなっています。
本殿が、参拝者の目線の高さになるように計算されているそうです。

外の明るさとコントラストを持たせ、明度も徐々に下がっていきます。
これは本殿の神秘性を高める効果を意図したものだそうです。



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神殿内部には多くのレリーフが、状態よく保存されています。

現在は色が落ち花崗岩一色の神殿ですが、当時は神殿全体に華やかな彩色が施されていたそう。


「 子供のホルス神に、授乳するイシス神 」



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古代エジプトの象形文字、ヒエログリフの特徴も教わります。
カルトゥーシュという枠で囲まれているのは、エジプト王ファラオの名前。



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一通りの説明が終わると、あとは自由行動。
遺跡内を、勝手気まま、思う存分散策します。



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イシス神殿から眺める、アスワンダム



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イシス神殿の次は、アスワンハイダムまで車で見物にいきます。

既存のアスワンダムだけではナイルの氾濫を治めることができず、さらなる大型ダムが必要となり、10年の歳月をかけ1970年に完成した巨大なロックフィルダム。 エジプト革命、第二次中東戦争により、イギリスからの資金が途切れたなか、旧ソ連の援助で建設されたダムです。 なので、エジプト人はロシアに対して親近感を持っているそう ( 反対にアメリカは、やはりアラブの敵とみなされているよう )


ダムが巨大すぎて写真に納まりません (汗)



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琵琶湖の8倍ともいわれる巨大な人造湖「ナセル湖」の出現により、アスワン地域の気候さえ変わってしまうほど自然体系に変化をが起こったそうです。 ( アスワンは歴代世界で最も降水量の少ない町であったのに、ダムの完成により雲が発生し雨が降るようになったそう )

飛行機の窓からみたナイル、ホテルや船のキャビンから実際に目にするナイル。 その深い水色の美しさに、さすが 「 青ナイル 」 と呼ばれるだけのことはあると、無責任に感動していたのですが、この青さは本来のナイル川の色ではないそうです。

ダム完成前の本来のナイルの色は、チャオプラヤー川やメコン川と同様、肥沃な土壌を溶かした茶色い川だったとのこと。

ダムの完成で肥沃な土壌がダム底に沈殿するようになり、川の色も次第に澄んで青色に変化したそう。
肥沃な土が運ばれなくなった川下では、洪水はなくなった替わりに農地がやせ、塩害が発生し、エジプト農業には大きな被害をもたらしているそうです。

さらにプランクトンの減少により、地中海の豊かな漁場の水産資源にも悪影響を及ぼしているとのこと。

ナセル湖では貯水量の3分の1が熱風で蒸発してしまうため、灌漑用にと予定していた貯水量に到達するまでは200年かかるとも言われているそうです。



午前中の観光を終えて、船に戻ります。



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乗船してほどなく、クルーズ船は出航します。

アスワンの岸を離れ、ナイルを下り、エドフの町を目指します。




つづく


by nonaetamu | 2016-12-17 20:50 | エジプト | Comments(0)

エジプト旅行記 2016年 エジプト アスワン 「 ヌビア博物館 」 



今日から4日間のナイルクルーズの初日。
朝10時にクルーズのガイドさんとホテルのロビーで待ち合わせです。

午前中に 「 ヌビア博物館 」 を観光。
昼過ぎにボートにチェックインして、船上でランチをいただくスケジュール。

博物館へ向かうバスの中で、ガイドさんから衝撃的な発表が
「 今回他の参加者はいません。クルーズの参加者は私たち2名だけです。 」

なんと22キャビン、定員44名の船が私たちだけの貸し切りクルーズに。
「 ゴールデンラッキー !  誰にも気兼ねをせずに好き放題できるー ! 」



結論からいうと、観光が毎日のスケジュールに組み込まれた 「 ナイルクルーズ 」 は、能動的に観光することがほぼない私たちにとって、豚に真珠 まさに最適な旅行スタイルでした。 あまりの快適さと4日間の観光をなしとげた達成感で調子に乗って、次回は生まれて初めての 「 団体旅行 」 にチャレンジしようかと思ったほど。 上げ膳据え膳のお任せツアーは、ものぐさな私たちにとって完璧なお膳立てでした。

もちろんガイドさんも私たち2人の専属
「 二人のため、ボートがあるの~  二人のため、ガイドがいるの~ 」( © 直美 )

今思うとなんとも贅沢なシチュエーションですが、常にガイドさんと真剣勝負という気疲れも正直な感想。
熱のこもったガイドさんの説明を一語一句を漏らさず聞いている振りをしなければならないし、たまには気の利いた相槌や質問もしなけらばなりません。

文字通り超英才スパルタ観光 !
こんなに真剣に人の話に耳を傾けたのは、大学の授業以来かも (汗)



「 ヌビア博物館 」 

エジプト遺跡観光のイントロダクションとして、エジプト史の概要を理解するには最適な博物館でした。

ヌビアとは、アスワンからスーダンにかけて栄えた地域の名前。 ヌビアの末裔であるアスワンの人たちは、白人やアラブ人に容姿が近いカイロの人たちとは異なり、アフリカ系黒人の特徴を備えた容姿をしています。 体格は大きく、黒い肌に、ちぢれた黒髪。

ガイドさんは、最初に私たちのエジプト史に関する習熟度、興味の対象を確認し、それに合わせて解かり易く丁寧に、エジプトの歴史、遺跡観光のポイント・方法を案内してくれます。

エジプトでは、大学でエジプト学や考古学を専攻し 「 エジプトロジスト ( エジプト学学者 ) 」 の称号を取らないと正式なガイドにはなれません。 なので博学なガイドさんはどんな質問にも、即座にとても明瞭に答えてくれます。 賢すぎてちょっと憎らしいほど (笑)



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博物館にはやまほどの展示物があるのですが、その中から気になったものを何点か

紀元前6千年以前の先史時代から、古代エジプト王朝、ギリシア・ローマの影響を受けた紀元前後のエジプト、キリスト教、イスラム教の影響を受けた西暦1000年くらいまで、ヌビア地方の遺跡から発掘された幅広い展示物が陳列されています。 エジプトでは、紀元前1000年なんて最近の出来事だそうで、歴史のあまりの大きさに時間の感覚が麻痺してタイムスリップしてしまいそう (笑)

「 ナイルの娘を得るもの・・・・ エジプトを得ん 」 ( © キャロル )



「 器 」

楽焼風のものがあったり、萩焼風のものがあったり。 
茶道のお茶碗・お道具に使いたい元祖 「 侘びさび 」 の極み (笑)



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ギヤマンも素晴らしい !



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イスラム模様のベルサーチ壺



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「 彫刻 」

砂に埋まっていたのが幸いしたのか、保存状態がよく不思議なほど艶やかで、数千年の時の流れを感じさせない美しさです。



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「 ジュエリー・アクセサリー 」

最大の興味をそそられた展示物は、もちろんこちら。

ジラフの櫛。 
8千年以上前にこんなに可愛い櫛が使われていたなんて!



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象印のキーチェーン。 
お洒落・・・・



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クラウン



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リング



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紫のファーの馬具



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全部欲しい! 買いたい ! だっておばさんだもん (笑)

「 キラキラしてるのだ~いスキ !! カワイイのだ~いスキ!! 美味しいものだ~いすき!! 」
「 買って ! 買って ! 買って ! 買って ! ちょーだい ! ちょーだい ! ちょーだい ! ちょーだい ! 」 ( © おねだり大作戦 )




観光を終えたら、いよいよ乗船です。

二人だけのプライベートボート ( しつこい 笑 )



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つづく


by nonaetamu | 2016-11-30 23:41 | エジプト | Comments(0)

エジプト旅行記 2016年 イスラエル エルサレム 「 嘆きの壁 」 「 岩のドーム 」 



エルサレムでの滞在2日目、昨日は予定していた市内観光をさぼってしまったので、今日こそは絶対に市内観光にでかけます。
今日もプールサイドでだらだらしていたいのが本音なのですが・・・・ それではさすがに人間失格 (笑)


いざ出陣~ ! の前にまずは朝ご飯でしょ。

今日のみことば 「 腹が減ってはいくさができず 」 @ エルサレム  

炎天下の市内観光、体力補給は不可欠です。



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優雅な朝食用の食堂には溢れかえるばかりの料理の数々・・・・ 
ご馳走を目の前にしてすっかり興奮してしまい、すでに観光への意欲が半減 (汗)

日差しの明るい窓際のテーブルを確保しました。



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窓の外では気持ちの良さそうなガーデンプールが、観光なんてやめてこっちに 「 おいで おいで 」 と手招きしています (笑)



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あまりの料理の多さに目移りして、何からいただいたらいいのやら・・・・ (困惑)



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チーズだけでも驚くほどのラインアップ
嬉しすぎてテンション振り切れそうです (笑)



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これでもチーズのほんの一部。



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パンやケーキ類も大充実 !



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フレッシュジュースのコーナー



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まずは1皿目



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ビュッフェ台にはハム、ソーセージ、ベーコン等の肉類がありません。 
ユダヤ教の食に関する戒律 「 コーシャ 」 で、乳製品と肉類を同時に食べることが禁止されているからです。
( なのでチーズバーガーも駄目、その他、甲殻類、イカ、タコ、鱗のある魚、等々も禁止 )

その代わりに燻製やしめた魚がたくさんあります。 イワシ、サバ、ニシンにサーモン・・・・
お酢のしめ具合も絶妙で、脂がほどよくのったお魚がとても美味しい !

日本人にとって朝からお魚がいただけるのは嬉しいですね。


続いて2皿目

チーズにしようかケーキにしようか真剣に悩んだあげく、今日はケーキを選択。
明日から旅行するエジプトでは美味しいケーキを期待できないかもしれないので・・・・

チーズケーキ、クグロフ、シュトルーデル、アーモンドケーキの4種盛り (笑)
プルーンのコンポートとフレッシュクリームを添えて



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やっぱりイスラエルのケーキはレベルが高くて美味しい !

「 ダビデ王ホテル 」 の朝食、エルサレムでも有名なだけあって、郷土色豊かな素晴らしい内容でした。 
今回イスラエルでいただいたなかで一番満足度が高い食事だったかも・・・・ (笑)


さてお腹もいっぱいになったところで、このまま観光に出発です。





10:30 ホテル出発

ホテルから旧市街に向かって坂道を下りていくと、遠くから子供たちの悲鳴のような歓声のような、黄色い叫び声が聞こえてきます。
もしかして通学バスを狙ったテロでも?!



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ホテルの下にある公園の噴水で、大勢の小・中・高校生たちが無邪気に水遊びをしていました。



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四角い噴水にびっしり捕まって、まるでゴキブリホイホイ (笑)



旧市街はホテルから歩いて10分ほど、西側にあるヤッフォ門から中に入りました。



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旧市街の内部は、アラブのスークのように、細い路地が縦横無尽に入り組んでいます。 路地の中は視界が開けず案内板もほとんどないので、地図を見ながら歩いていても方向感覚がなくなって迷子になってしまいます。

11:15 あちらこちら彷徨ったあげく、ようやく第一目的地の 「 嘆きの壁 」 に到着しました。



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「 嘆きの壁 」


預言者アブラハム ( ムスリム名 イブラーヒーム ) は、ユダヤ教とイスラム教の両教にとっての 「 信仰の父 」 であり、ユダヤ人とアラブ人の祖でもあります。 つまりユダヤ人とアラブ人はアブラハムの2人の息子それぞれの子孫であり、元をたどるとお爺ちゃん ( アブラハム ) が同一人物という従兄弟関係。 ユダヤ教のスピンオフであるキリスト教の信者も、もちろんアブラハムの子孫です。

旧約聖書の 「 創成記 」 よると、唯一神 「 エホバ 」 は、アブラハムの自分に対する忠誠心を試してみようと思って、神への生贄としてアブラハムの息子イサクを自らの手で殺すよう、人間とは思えない非道な命令を下します ( だって神様だから 笑 因みにイサクはアブラハム100歳のときに授かった恥かきっ子 )  アブラハムは神の無情な命令に従うべきかどうか悩みますが、最後にはエホバのパワハラに負けて息子イサクを殺す決心をします。 この凶悪な実子殺人未遂事件の現場となったのが 「 モリヤ山 」 にある岩の上、現在の岩のドームがある場所なんです。 ユダヤ教では、イサクの処刑台として使用されかけたこの岩を 「 聖なる岩 」 と呼び「 世界の礎 」 として信仰しています。

その後、ホテル名やミケランジェロの彫刻で有名な、古代イスラエル王国のダビデ王がこの神聖な土地を一括購入、そしてダビデ王の息子 テレ東の番組で有名な賢者ソロモン王が父親の買ったその神聖な土地にエルサレム神殿を建築しました ( 紀元前948 )

しかしソロモン王の建てた第一エルサレム神殿はバビロニアによって破壊され、その際に多くのユダヤ人たちが捕虜としてバビロニアに拉致されます ( 紀元前586 ) 拉致から70年後、ペルシャ王の手によりバビロン捕囚から解放されたユダヤ人たちは エルサレムに帰還し、破壊された第一神殿の跡地に第二神殿を建築します (紀元前515) その後紀元前20年に、 第二神殿はヘロデ大王によって大規模リノベーションが行われました。 因みにこのヘロデ大王は、シーザー & クレオパトラ & イエスキリストとほぼ同じジェネレーション、人類史上最強に濃い世代 (笑)

100年ほど経った西暦70年の第二次ユダヤ戦争時に、第二エルサレム神殿はローマ帝国によって再び破壊されてしまいます。 しかし破壊された神殿の西の壁だけは、奇跡的に崩壊を免れます。 この唯一生き延びた神殿の西壁は、ユダヤ教徒のあいだで 「 神が臨在する栄光の場所 」 として語り継がれることになります。 いっぽう第二次ユダヤ戦争後、ローマ帝国はユダヤ教を根絶しようとこころみ、ユダヤ暦を禁止し、聖典を埋め、指導者たちを大量殺害しました。 さらにユダヤという地名をパレスチナへと変更し、ユダヤ教徒のエルサレムへの立ち入りさえも禁止してしまいます。  

ユダヤ教徒にとって苦難の年月が過ぎ、4世紀になってようやくエルサレムへの立ち入り禁止令が解かれ、1年に1度だけエルサレムへ帰省することが許可されるようになります。 それ以降 嘆きの壁はユダヤ教徒が祖国復興を祈る大切な巡礼地となります。

時が流れ中世時代の或る日、ユダヤ暦の大切なアニバーサリー 「 エルサレム神殿破壊記念日 」 に、通りすがりの信者が奇跡の光景を目撃します。 なんと神殿の西壁が 「 嘆きの涙 」 を流していたというのです。 その信者のミラクル目撃証言により、それ以降神殿の西壁は「 嘆きの壁 」 と呼ばれるようになったそうです ( 実際は壁についた朝露が涙のように輝いて見えたそうな )



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嘆きの壁では、信者の皆さんがたんたんと感情も表すことなく静かにお祈りを捧げています。

「 嘆きの壁 」 というドラマティックなネーミングから勝手に想像していた光景とはちょっと違うような・・・・
実際に目にする信者の方の 「 嘆き 」 の熱量は期待よりもかなり控えめ。
もっと、壁どんどんをしたり、大声で泣き悲しんでいる人がいるのかと予想してたのに ( 韓流ドラマの見すぎ? ばち当たり ! )

中世の時代、1年に1度だけしか訪問が許されていなかった頃や、第二次世界大戦後の緊張時、嘆きの壁への立ち入りが禁止されていた頃と異なり、今では365日24時間いつでも訪問が可能になったおかげで、ありがたみが薄れてしまったのでしょうか ? 

強引とはいえ取り合えず念願の祖国もできちゃったことだし・・・・




11:45 第二の目的地 「 岩のドーム 」 に向かいます。 

岩のドームは嘆きの壁の向こう側、広場の右上に架かる木製のブリッジを渡るとすぐそこ。
イスラム教徒以外の人が岩のドームのある旧神殿の丘に入るには、このブリッジが唯一許されたアプローチです。



「 岩のドーム 」

「 岩のドーム 」 は、ユダヤ教徒にとって 「 聖なる岩 」 のある大切な聖地であると同時に、イスラム教徒にとっても 「 メッカのカアバ 」 「 メディナの預言者のモスク 」 に次ぐ三番目に重要な聖地でもあります。 

イスラム教の開祖 預言者ムハマッドが体験した 「 夜の旅 」 ( イスラー )、メッカからエルサレムまでわずか一夜で移動して、エルサレムの地で天使ガブリエルに導かれ天国へと昇り神に出会った奇跡の異次元トリップ。 その昇天したムハマッドが、天へと飛びたった発射地点がこの 「 聖なる岩 」 であると信じられているからです。 聖なる岩にはムハマッドの足形と天使ガブリエルの手形が残されているそうです。

現在の岩のドームは、西暦688年から3年の歳月をかけて、聖なる岩の上に建築されました。 ユダヤ教徒の言い分によると、ウマイア朝 ( イスラム国家 ) は、ユダヤ教徒とキリスト教徒へのあてつけと嫌がらせのため、意図的にユダヤ教の聖地である聖なる岩をドームの建設場所に選んだそうです。 さらにドームの大きさもキリスト教の聖地である聖墳墓協会のドームよりも大きく造ったとのこと。 またモスクの内部にあるキリスト教の悪口を書いたコーランの一節は、シリアのキリスト教者を強制的に連行してタイルを張らせた奴隷労働によるものだそうです。

岩のドームは岩盤の上に建てられているため、過去数度の地震にも崩壊することもなく、現在でも当時のままのオリジナルの建築が保たれているとのこと。 外壁のタイルはオスマン帝国時代の1554年と1963年に張り替えられ、ドームの金箔は1993年に貼られたものだそうです。

「 岩のドーム 」 は地上において最も神 (天国) に近い神聖な場所、神との交信が可能な世界最強のパワースポットでもあります。




ブリッジ入口の入場券売り場で、岩のドームの閉門は12時なのであと15分しか時間がないと告げられます。
しかし岩のドームは、ラマダンの期間、午前中しか異教徒に開放されていません。 これが最後のチャンスなので、15分だけでもいいので観光することにしました。



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実際に入場してみると、機関銃を持ったアラブ人の兵士が、もう閉場時間だと言って 「 岩のドーム 」 に近寄らせてくれません。
売り場ではあと15分って言ったのに・・・・ ずるい (怒)



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岩のドームの向かいにあるモスクには、イスラム教の信者たちが集まってきています。
昼の礼拝があるのでしょうか。



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神殿出口側、側面から見た岩のドームです。



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写真を撮っていると、私たちの後をストーカーのようにつきまとっている先ほどのアラブ人兵士が 「 今すぐ出ていけっ ! 」 って怒鳴っています。

意地悪で本当に感じが悪い・・・・  ラマダン中でよっぽどお腹が空いているのかしらん ?
目の前で焼き立てのケバブと冷えたビールを食べ散らかしてやればよかった (大人げなさすぎ 笑)



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12:00 岩のドームを強制退場。 

楽しみにしていた霊体験も、キューピットの降臨も、啓示や覚醒もないままに・・・・

それでは観光の最終目的地 イエスキリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘へと歩いた 「 苦難の道 」 ( ヴィア・ドロローザ ) に向かいます。



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つづく


by nonaetamu | 2016-11-01 22:19 | イスラエル | Comments(4)